言葉の説明と解説は用語集参照。
明治5年(1872)7月 | 「学制」施行 |
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明治6年(1873)3月 | 「津金学校」設置 |
7月 | 諏訪神社氏神より社地の使用許可を受ける。 |
8月 | 開校式を行ない創立日とする。東泉院本堂を仮校舎とする。 |
明治7年1月 | 「徴兵制」布告。★ |
3月 | 藤村紫朗が県令に着任 就業生152人。山梨県は就学率で全国2位になる。 |
明治7年(1874)5月 | 宮大工 小宮山弥太郎によって校舎絵図完成。 |
9月 | 藤村校舎棟上げ。 |
明治8年(1875)10月 | 藤村式校舎落成。一部を津金村役場が共用する。藤村紫朗 県令を招いて開校式を行なう。 |
明治9年 | 暴風により2階天井が破れる。 |
明治10年 | 昇級生132人の記録あり。 |
2月 | 西郷隆盛挙兵(西南戦争)。 |
12〜19年の記録なし。 | |
明治12年9月 | 「学制」廃止。「教育令」」公布 |
明治19年4月 | 「師範学校令」「小学校令」「中学校令」公布 |
明治20年 | 「津金尋常小学校」と改称。 |
明治21年(1888)2月 | 帝国憲法発布。 森文部大臣刺殺される。 |
明治23年10月 | 「教育勅語」発布。 |
明治24年(1891)5月 | 本校職員、ロシア皇太子の平癒を祈願する。 ロシア皇太子が巡査に切りつけられる(「大津事件」) |
明治26年 | 「両陛下御真影」を「安置所」に奉置する。 |
明治27年8月 | 「日清戦争」宣戦布告。 愛国思想の養成高まる。 |
明治30年 | 就学義務者203名の記録あり。 |
明治34年 | 村民により運動場を拡張。 |
明治37年2月 | 「日露戦争」開戦。 軍国主義思想の涵養 |
明治38年(1905)1月 | 旅順陥落祝勝会を行なう。 日露戦争戦死者の葬儀相次ぐ。 |
10月 | 「教育勅語下賜」 5周年記念にて奉読式挙行する。 津金村の公式行事は生徒や村民を集め学校で行なわれた。 |
明治39年 | 日露戦争出征兵士の凱旋歓迎会相次ぐ。 |
明治41年(1908)3月 | 第1回卒業式証書授与式を行なう。 |
12月 | 板葺き屋根を瓦に葺き替える。「小学校令」改正により義務教育年限が6年に延長される。 |
明治42年(1909)10月26日 | 伊藤博文、ハルピン駅で射殺される。 |
明治43年(1910)5月 | 日本海大海戦記念日の式典を行なう。 |
9月 | 「韓国併合」につき訓話をなし長久を記念する。 |
10月 | 「勅語奉読」式。 |
8月 | 「韓国併合」 |
明治45年(1912)7月 | 職員児童参会のもと聖上陛下の平癒祈祷会を海岸寺で行なう。 |
7月 | 「明治天皇崩御」。皇太子即位。 「大喪」につき児童招集して哀悼の意を表す。7月30日より大正元年。大正は15年(1926年)12月25日まで。★ |
大正2年(1913)3月 | 校舎の改修工事。雨水漏水のため太鼓楼排除。 津金高等小学校に校名変更。 |
8月 | 「御真影奉安所」を2階西側に奉置。 |
大正3年(1914)3月 | 皇太后御大喪につき、遥拝式を挙行。 |
8月 | ドイツに宣戦布告(第1次世界大戦)。 |
大正4年(1915)4月 | 高等小学校を廃止し、津金尋常高等小学校となる。 |
4月 | 農業科を設置。 |
5月 | 御即位大典記念の植樹祭を行なう。 |
10月 | 今上陛下御真影伝達式を行なう。 |
11月 | 尋常高等小学校第1回卒業式。 |
1月 | 中国に21ヶ条要求を提出。 高等小学校と尋常小学校と併置。在籍生222名。 |
大正6年(1917)1月 | 村立津金農業補習学校を創立開校。同女子部も開校。 |
2月 | 皇后陛下御真影を拝載。 |
大正7年10月 | 創立44回記念式を挙行。 |
8月 | シベリア出兵 |
大正10年(1921) | 3月 陸軍記念日に49連隊大沢大尉の講演会を開催。 |
4月 | 「教育勅語謄本」と「御令旨」伝達式を行なう。 |
11月 | 陸軍式簡閲(かんえつ)点呼を施行する。 |
大正12年(1923)4月 | 増築校舎(大正校舎)起工式。 |
9月 | 関東大震災。地震による校舎への被害わずか。 |
大正13年(1924)1月 | 増築校舎棟上式。 |
5月 | 大正校舎落成式。在籍生284名となる。 |
大正14年1月 | 「御真影奉安殿」の落成奉遷(ほうせん)式を挙行。 |
大正15年12月 | 「天皇陛下御不例」につき御平癒祈願式を挙行。大正天皇御崩御。 |
昭和元年(1926)12月 | 「奉弔式」挙行。 |
2月 | 遥拝(ようはい)式挙行。 12月26日より昭和元年。 |
昭和2年5月 | 藤村校舎修繕工事完了 |
昭和3年3月 | 「金融恐慌」始まる。 |
昭和3年3月 | 「昭和天皇御大礼(即位)」記念として門柱を建立。 |
昭和4年(1929)5月 | 海軍記念日に訓話を聞く。 |
8月 | 暑中休業(夏休み1ヶ月) |
12月 | 冬季休業(冬休み2週間) |
昭和5年5月 | 教育勅語40周年記念式を挙行。 |
昭和6年4月 | 「御真影奉還」ならびに拝載式。 |
9月 | 「満州事変」勃発。 |
昭和8年6月 | 国際連盟脱退に関する詔書の奉読奉読へリンク式を行なう。 |
3月 | 国際連盟脱退通告。 |
昭和11年(1936)2月 | 「2.26事件」起こる。 |
4月 | 県下一斉第1回防空演習実施。 |
昭和12年10月 | 南京陥落祝勝会挙行。 |
7月 | 「盧溝橋事件」。 |
昭和13年(1938)1月 | 南京空爆参加の兵士来校講演会。 |
3月 | 戦勝祈願のため諏訪神社へ修学旅行。 大正校舎増築落成。 |
9月 | 防空演習を行なう。 |
12月 | 日本軍南京占領。 |
10月 | 銃後後援週間。 |
昭和14年(1939)10月 | 教育勅語「教育勅語」50周年記念式を行なう。 |
1月 | 近衛内閣辞職。 |
2月 | 日本精神発揚週間。 郷里に戦死報告相次ぐ。 |
昭和16年(1941)2月 | 「津金国民学校」と改称する。津金国民学校 |
12月 | 大東亜戦争始まる(ハワイ真珠湾攻撃)。 |
昭和17年(1942) | 学校日誌抜粋 『…戦争のための諸協力、その筋の指導に基づき出征遺家族への労力奉仕、公共作業への協力、燃料搬出応援、校庭地ならし等に奉仕は無論、少年団として…農場を経営、その他麦稲刈り、麦踏み等増産への協力をなし、また債券購入毎月一人50銭以上の貯蓄をなし、時局認識徹底、墓参り、寺社参拝等、敬神崇祖にもまた力を効せり』 |
昭和18年(1943) | 学校日誌抜粋 『県目標:決戦下教育強化徹底、教科目の指導強化徹底、体力増強と養護教育充実…など。郡目標努力点:清潔整頓の徹底、礼儀作法訓練の徹底、正しき言葉の徹底。 …右の目標は無論、農産増進、畑拡張、食料増産、ヒマ栽培、アカソ採集、桑皮収集は無論、薪炭搬出、軍人援護、慰問文画発送、応徴者産業戦死者慰問、貯蓄奨励、その他練成修文戦力増強にあらゆる努力を続けたり』 |
12月 | 「学徒出陣」始まる。 ヒマからは潤滑油を抽出、アカソは繊維、桑皮は紙の原料となった。在籍生241名。 |
昭和19年(1944) | 学校日誌抜粋 『大東亜戦争苛烈深刻を加え、国内諸体制変革進展す、農休み前に自家農業協力のため60日授業廃止、勤労報告国隊の組織、労力奉仕、諸慰問、供出収集協力、村出身関係縁故者の疎開転入児増加、学校用水道の完成、旧校舎改築、奉安殿修理、忠霊室建設などあり』 在籍生306名。 |
昭和20年(1945) | 学校日誌抜粋 『戦争は苛烈深刻を極め、本土決戦期に入る。国内体制の急変革は無論ながら、決戦教育措置要綱が閣議で決定され、全学徒は食料増産、軍需生産、防空防衛の重要研究など決戦に重要なる業務に総動員さる。国民学校初等科を除き、学校は全て4月1日より原則として授業を停止さる。食料増産の為の学校農場経営の重視、農耕開墾開田、勤労奉仕や野菜採集、その他による未利用資源の食糧化、野生緑肥の確保等、軍関係の潤滑油増産のヒマ裁培、松樹脂松根採集等に動員される。学徒体練並び、軍事教育特別措置要綱等による訓練強化や少年兵義勇軍等、若い戦士は次々に送出された、強化図書供給制限、学校校舎転用の件、農繁作業学徒協力の件、疎開学童受入の件、学徒隊結成の件等、時局の急迫に伴い社会情勢は真に軍官民協力一致したが更に危急の様相に突入。』 |
8月6日 | 広島に原爆投下される。 在籍生315名。 『国体護持の一点と学徒の教科指導にあやまりなきを示さる。以降時局急転に伴う学校教育に関する通牒は日に新たにされた。』 |
12月 | 「天皇皇后両陛下御真影」を奉還する。 |
8月15日 | 「天皇陛下玉音放送」。 「天皇陛下終戦の大詔煥発」される。 |
10月 | 「戦時教育令」廃止。 GHQ教育に関する指令。 |
昭和21年(1946)1月 | 大正天皇皇后陛下、明治天皇皇后の御真影を奉還する。 |
5月24日 | 天皇陛下より日本の食糧不足現下国民の心得べきことにつき御放送あり。 学校日誌抜粋 『全日本国民は飢餓突破の覚悟を新たにす…』 |
7月 | 「御真影奉安殿」撤去。 |
11月 | 新憲法発布式典祝賀式を挙行する。 校庭の忠魂碑を撤去。 |
1月 | 天皇人間宣言天皇人間宣言へリンク |
11月 | 新憲法発布。 在籍生328名。これ以後減少する。 |
昭和22年(1947)3月 | 国民学校を廃止、津金村立津金小学校と中学校を設置。 |
5月 | 新日本国憲法実施記念祝賀式を行なう。 |
3月 | 「教育基本法」「学校教育法」公布。 |
昭和25年6月 | 「朝鮮戦争」勃発。 |
8月 | 韮崎ー津金間バス開通。 在籍生253名。 |
昭和26年10月 | ルース台風による校舎への被害あり。職員室の天井下がる。 |
9月 | 日米安全保障条約調印。 |
昭和27年(1952)5月 | 校舎の修理終る。 |
6月 | 学校に電話を取りつける。 |
昭和28年(1953)4月 | 津金中学校(昭和校舎)棟上式を挙行。 |
9月 | 中学校校舎落成式。 |
12月 | 学校給食実施。 |
昭和29年(1954)2月 | ミルクとパンの完全給食開始。 |
12月 | 体育館の棟上式を挙行。 |
昭和30年(1955)3月 | 津金小学校が町立になる。 |
8月 | 体操場(体育館)落成。 |
昭和31年3月 | 若神子、穂足、多麻、津金の4ヶ村を合併し須玉町発足。 在籍生234名。 |
12月 | 国際連合正式加盟。 |
昭和32年10月 | 県教育庁より老朽校舎の認定を受ける。 |
昭和34年(1959)8月 | 伊勢湾台風により校舎の屋根が破損する。 |
9月 | 台風15号により校舎の屋根と棟が全部飛ぶ。 |
昭和38年12月 | 大正校舎前に野口英世博士の像が建立される。 |
11月 | 藤村校舎の内壁塗りをする。2階に郷土室を設ける。 |
昭和39年3月 | 津金小学校創立90周年の式典を行なう。 |
10月 | 東京オリンピック開催。 |
昭和42年10月20日 | 吉田茂元首相死去。 |
10月 | 故吉田茂元首相国葬につき授業午前中打ち切り黙祷を捧げる。 |
昭和43年(1968)4月 | 津金中学校が統合され須玉中学校となる。 |
10月 | 明治100年につき授業半日。 在籍生122名。 |
昭和48年(1973)7月 | プール開き。初使用。 |
10月 | 創立100周年記念式を挙行。在籍生90名。 |
昭和51年11月 | 授業半日 天皇在位50周年 在籍生65名。 |
昭和54年(1979)1月 | 第1回国公立大共通1次試験実施。 |
昭和58年7月 | 閉校記念事業実行委員会を設置。在籍生44名。 |
昭和59年(1984)9月 | 閉校記念大運動会を行なう。 |
10月 | 須玉統合小学校が若神子に完成する。 在校生44名。(13名)。統合小学校へ1日入学。 |
昭和60年3月3日 | 閉校記念式典。31日をもって閉校となる。 |
昭和63年 | 藤村校舎を解体する。 |
平成2年(1990)9月 | 藤村式校舎復元完成 |
平成4年(1992)3月 | 須玉町歴史資料館オープン(校舎活用) |
6月 | 藤村式校舎が山梨県指定有形文化財に指定される。 |
平成23年(2011)4月 | 津金学校に名称変更 |