小宮山弥太郎

小宮山弥太郎

小宮山弥太郎(こみやまやたろう)は、藤村式建築 の多くを手掛けた大工棟梁(設計者兼監督)である。1828年10月17日甲斐塩山(今の塩山市)に生まれ、15歳の時に島村半平に就いて社寺建築と彫刻を修行した。明治維新後は東京や横浜の洋風建築の設計や技術を独学で学ぶ。

明治6年、就任したばかりの 藤村紫朗県令 から県の官庁舎や公立学校の建築を依頼された。

山梨の近代化は殖産興業と教育の普及にあると信じていた藤村県令の政策意図と西洋の近代建築技術を積極的に和洋建築に取り入れようとしていた弥太郎の意欲がうまく重なったのである。人々は弥太郎の建てた学校や建物を目の当たりにして時代の変化、つまり近代化を実感したことであろう。

小宮山弥太郎の主な業績

  • 明治7年 梁木(やなぎ)学校、琢美(たくみ)学校、県営官業製糸所
  • 8年 津金学校、甲府及び静岡裁判所、県立病院
  • 9年 山梨県師範学校
  • 10年 山梨県庁舎
  • 12年 猿橋の修築
  • 大正6年 武田神社

明治20年に藤村紫朗が愛媛県へ転任すると弥太郎も愛媛へ赴き、愛媛師範学校など各所で新築工事を請け負った。愛媛で5年を過ごした弥太郎は山梨へ戻り大工組合を組織して後進の育成にあたった。その後も、弥太郎は官営工事や社寺の設計を請け負い、大正6年には武田神社の新築を監督した。そして、大正9年5月8日93歳でこの世を去った。

小宮山弥太郎が設計した藤村式建築

名称 落成日 場所(当時) 備考
琢美(たくみ)学校 明治7年2月16日 甲府工町
梁木(やなぎ)学校 明治7年2月16日 甲府柳町 明治22年甲府市庁舎に使用。
山梨県官業製糸所 明治7年7月 甲府錦町 レンガ造り
山梨裁判所 明治8年 甲府錦町 明治9年に静岡地方裁判所甲府支庁となる。
津金学校 明治8年10月 津金村 平成元年修復。現存
山梨県病院 明治9年5月25日 甲府錦町
山梨県師範学校 明治9年7月 甲府錦町 明治16年火事で焼失。17年に弥太郎の設計で再建。
山梨県庁 明治10年11月 甲府錦町

参考文献:植松光宏『山梨の洋風建築』甲陽書房 昭和52年
有泉貞夫『山梨の近代』 山梨ふるさと文庫 平成13年2月