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YAMAHA ORGAN | |
製造番号140358 Yamaha Organ のほかに Hamamatsu とも書かれてある。 ■鍵盤の蓋(フタ)の内面に「清水致知君寄附 大正十年十月寄贈」と刻まれている。清水致知(ムネトモ)氏は大正15年から昭和12年(昭和6年を除く)まで津金小学校で訓導を勤めた人物。訓導とは当時の小学校教員のこと。当時、津金学校にはオルガンがなく、児童達の音楽教育のためにと自宅にあったオルガンを学校に運び使用したそうで、そのまま学校へ寄贈したという経緯があるそうです。 ■当時の学校日誌の記録によるとオルガンの価格は150円だったとある。これは昭和の中頃までのストックだそうで、前面の彫刻模様が素晴らしい。 |
NISHIKAWA ORGAN | |||
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Nishikawa Organ Nippon Gakki Seizo Kabushiki
Kaisha Yokohama
Factory 日本楽器製造会社横浜工場 製造番号27363 ■「西川オルガン」と言えば、リードオルガン・ファンの間では逸品と言われています。西川とは西川寅吉の苗字で、寅吉はもともと三味線を作る職人でした。寅吉は明治9年に横浜で風琴の調律技術を学び、明治17年頃に風琴の試作に成功しました。これが国産のリードオルガンの第1号ということです。 ■ちなみに、ヤマハ楽器(下参照)の創業者である山葉寅楠(とらくす)も明治20年に風琴の製作を始めました。国産第1号のオルガンを製造したのは山葉であるとヤマハ株式会社の紹介サイトには記載されているが…、これは誤りのようだ(p.74 『オルガンの文化史』)。ヤマハの前身は「日本楽器」、その前身は「山葉風琴製造所」として明治21年に始まった。 ■大正10年に西川楽器はヤマハに吸収合併された。しかし、日本楽器の横浜工場には西川楽器の技術者達が残ってオルガンを造り続け、社名は変わっても西川のオルガンを造り続けた。ヤマハはそれほど西川のオルガンの優秀さを認めていたことになる。西川オルガンは玄人向け、特に教会関係者に人気があったそうだ。結果的に西川オルガンのブランドは太平洋戦争直前まで残され、このオルガンのように、日本楽器の製造でありながら【Nishikawa Organ】の名前がしっかりと明記されたのです。 ■この西川オルガンは西川楽器がヤマハに吸収された後のものなので大正10年以降に製造されたものと思われる。蓋はスライド式。このスタイルは西川オルガンの特長がよくでていると言われます。2001年5月8日現在、このオルガンは分解され修復されつつある。実は、今回判明したのだが、鍵盤の最左端の白鍵盤の木の部分に、「TDBY 1936.8.24 Hideo Ogata」(最初のTとオガタは違うかもしれない…)と鉛筆で記されているので、昭和11年以前に製造されたものと思われる。 | ||
参考資料: | 赤井励 『オルガンの文化史』 青弓社 1996年 ISBN4-7872-7052-4 |
根津さんとは山梨県出身の財閥で東武鉄道の創始者であった根津嘉一郎氏(1859-1940)のことです。東京にある根津美術館には氏の収集した多くの東洋古美術品が収蔵されていることで知られています。根津氏は昭和8年に県下の主な小学校に当時としてはとても高価であったピアノを寄贈しました。それらのピアノは『「根津さんのピアノ』と呼ばれ子供たちに親しまれました。ピアノの蓋の裏には「寄贈 根津嘉一郎」と記されています。 ■当時、あまりにも高価だったピアノをまとめて購入したことでヤマハの会社が持ちこたえることができたというエピソードもありますが、これは根津氏の高名をあげる噂話かも…。 | ||
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SPレコードライブラリーは手巻き式蓄音機で聞くことのできるレコードを集めたライブラリーです。所蔵レコード枚数は700になります。蓄音機はコロムビア製卓上型(Viva〜tonal
Columbia
Grafonola)。 簑田弘生さんのご指摘により製造は昭和7年前後ということが判明しました。 蓄音機は現在一階入口奥の休憩コーナーでレコードを聴くことができます。 |
■蓄音機の解説ページ ==≫ 「蓄音機の中をのぞいてみよう」 |
蓄音機について詳しく知りたい方は、簑田さんの「初心者の蓄音機入門」をご覧下さい。 |
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所蔵レコードの内訳は以下のようになっています。
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(c) 須玉歴史資料館