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明治の唱歌

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平成12年10月28日(土)に「明治の唱歌をうたう音楽会」が当資料館で開かれました。明治時代の擬洋風校舎で奏でられたリードオルガンの音色はとてもよかったです。この機会に、少しオルガンと唱歌について調べたことをまとめます。              
画像提供American Reed Organ Society
Baby Organ ■オルガンというとパイプオルガンのことであるという正統的な認識があり、小学校の音楽室にあった「足踏みオルガン」はリードオルガン(英語表記 Reed Organ)と呼ぶべきだそうです。今はハモニカに取って代わってしまったそうで、足踏みオルガンは今もあるのでしょうか? 女の子とふたりでドキドキですわったあの足踏みオルガンは今は……。
■オルガンの語源はギリシア語のオルガノン(organon)という言葉で、「道具」を意味します。ちなみに、英語ではorganはオルガンの他に「器官」「機関」そして「臓器」の意味があります。
■楽器であるオルガンの定義は、「パイプと送風機と鍵盤の三つの部分からなる気鳴楽器」と言えます。ですから、パイプを使わないリードオルガンは別個に扱われるわけです。しかしながら、いろいろと情報を集めて読んでみると、オルガンはリードオルガンも含めてオルガン楽器の「総称」として使われている例も多々あります。特に小学生向けの事典などはリードオルガンもオルガンとして扱っているので、ここらへんが誤解をまねきやすいのかもしれません。
ここでは、リードオルガンパイプオルガン、そして「総称」としてのオルガンと分けて記することにします。
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■オルガンの起源は2000年以上前までさかのぼるということです。古くは紀元前3世紀のエジプトのアレキサンドリアで水圧式のオルガンが作られたということがわかっています。その後、8世紀頃まではキリスト教とはまったく関係なく、世俗的な楽器として発達しました。教会に定着し始めるのは14世紀頃からで、当時の文化人であった修道士たちが修道院での音楽教育の道具としてパイプオルガンの製作に力を入れたそうです。その後、西ヨーロッパに宗教的楽器として広まったのです。
■教会といえば、パイプオルガンですね。パイプオルガンはパイプ内に空気が流れて共鳴する仕組みになっています。教会などにある大きなパイプオルガンは、建物の一部として考えられていて、電動式になるまではオルガンの裏で人が大きな送風器を操作していたそうです。一方、リードオルガンは基本的に仕組みはハーモニカやアコーデオンと同じで、送風によってリードが共鳴して発音します。リードを用いた笛の仲間なのに鍵盤楽器でもあるというユニークな楽器とも言えます。リ―ドオルガンは当初、ハーモニウムと呼ばれ(厳密には、別のものだそうです)、日本に入ってきたときには「風琴」と書いたのです。「かぜのこと」とは何ともいい感じですね。アメリカン オルガンとも呼ぶことがあるそうですが一般的ではないようです。一方のパイプオルガンは「管風琴」と書いたそうです。わかりやすいですね。
■パイプオルガンは、音色を調節するストップというスイッチみたいなものが複数ついていて、これを操作することによって幅広い種類の音色を出すことができることから、「楽器の女王」と呼ばれます。一方、ピアノを「楽器の王」と呼ぶそうです。ですから、パイプオルガンを「楽器の王」と呼ぶのは間違いだそうです。ドイツ語ではオルガン("Die Orgel")は女性名詞なので「女王」で納得できますね。
ハーモニウムのことをすこし。「ハーモニウム」(又は、ハルモニウム:英語表記Harmonium)はフランス人のドバンによって1842年に登録されたリードを用いたオルガンの商標名です。仏語式にはアルモニウムと呼びます。リ―ドオルガンとの違いは、ハーモニウムはパイプオルガンと同じ加圧式であるのに対して、リードオルガンは減圧式です。減圧式というのは、「ペダルを踏むと真空ポンプがはたらいて楽器内部の気圧を下げ、鍵盤を押した時それに対応するリードの下に設けられたバルブが開き、外部の空気がそこから楽器内部に進入する過程でリードを振動させる」という仕組みだそうです。【引用先:十九世紀オルガン音楽のページ『リードオルガン』2ページ】 簡単に言うと、楽器内部に入ろうとする空気の流れが音を出すということ、らしいです。どうやら、加圧式は吹き出し式で、減圧式は吸い込み式と理解してもいいようですが…。うーん、加圧式との決定的な違いが今一つピンと来ない(勉強不足です)。単純に足踏みのふいごで空気を送って音を鳴らしていると思ったらけっこう複雑な造りです。「ふいご」は送風機のことです。ハーモニウムとリードオルガンはその仕組みの違いから微妙な音色の違いがあるそうで、特に、フランスの作品を演奏するにはハーモニウムが最適だったようです。
■オルガンの画期的なところは、音程を保ったままで音量を変化させることが可能になったことだそうです。バイオリンでは難しいことを可能にしたのです。さらに、リードオルガンの長所は、音の強弱をパイプオルガンのような大掛かりな仕掛けを用いずに可能にしたことです。鍵盤も複数段から一段になったことも画期的だったようです。それと、小型化によって低価格化と量産化が可能になった点も重要で、そのため多くの中産階級や、教会、小学校に受け入れられたのです。巨大なパイプオルガンを個人で所有したり、日本の小さな学校校舎に備えるのは無理なことですから、小型のリードオルガンが日本で広く受け入れられたのでしょう。
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■日本におけるオルガンの歴史は16世紀後半にさかのぼります。けっこう古い。日本にキリスト教を伝えたイエスズ会のフランシスコ・ザビエルが伝道の有効な手段としてヴァイオリンとオルガンを用いたそうです。つまり、讃美歌の伴奏のための楽器です。リードオルガンが考案されたのは19世紀というのが一般的な見解ですので、この時のオルガンは今のものとは形がだいぶ違っていたのではないと思われます。一部資料では「小型オルガン」との記述もありました。チェストオルガンと呼ばれる箱型のオルガンが16世紀頃にはあったので、その類かもしれません(あくまでも想像です、ここらへんはとにかく情報不足ですのであしからず)。その後、日本で布教活動していたイエスズ会宣教師ヴァリニャーノに伴なわれて、4人の天正少年使節団が1582年に渡欧、1590年に帰国の際、ローマからパイプオルガンを持ちかえって豊臣秀吉の前で演奏したことも明かだそうです。この時のパイプオルガンは小型のものだったろうと想像する(確証なし)。しかし、その後、秀吉はキリシタンを弾圧し、明治6年までキリスト教は日本では公式に禁止されてしまいましたので、日本におけるオルガンの歴史も一時途絶えたわけです。いずれにしても、オルガンとキリスト教とは密接な関係があるということです。
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■日本で、リードオルガンが広く普及し始めたのは明治時代になります。いち早く、オルガンを導入したのは言うまでもなく教会や私立のミッションスクールで、外国人宣教師らによって独自に音楽教育が行われた。「学制」発布の時点で「唱歌」は正式科目として発表されていたが、リードオルガンが公立学校に正式に導入されるまでには明治20年まで待たねばならなかった。これは、一つには、できたばかりの文部省には予算がなかったこと。この時までに、オルガンを導入できたところはほとんどが一般からの寄附に頼っていたのである。もう一つは、文部省の音楽取調掛は唱歌教師を育成する公立機関であったが、洋楽を指導できる人材が決定的に不足していたことにある。最初の音楽の教材であった『小学唱歌集』91曲のうち15曲以上が讃美歌だった。とはいっても、洋楽や讃美歌をそのまま教えるのではなくて、歌詞を日本独特のものに変えたり、愛国的な歌詞に替えようと試みたのであるが、これにも無理があったといえる。
■まとめると、リードオルガンは十九世紀中頃フランスで実用化され、その後数多くの改良を重ねて欧州から新大陸に渡り、そして明治の日本へと伝わった。 明治から大正、昭和と二十世紀前半のわが国の音楽文化を代表する 「唱歌」 の数々も 実はオルガンと深い縁があります。唱歌は初等教育の発展のためばかりでなく、軍隊の士気高楊と規律にも役立つと考えられていました。西洋音楽の導入、唱歌による近代音楽教育、リードオルガンの普及は、日清戦争の頃から次第に、国民教化に結びついていったのです。
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伊沢(いさわ)修二 (1851〜1917) メイソン、Luther Whiting Mason (1828〜1896)
■明治初期における一般普通教育の構造全体を作り上げた。明治の音楽授業の教科書に使われた『小学唱歌集』を編纂、「むすんでひらいて」、「てふてふ」(蝶々)、「ほたるのひかり」など現在まで歌い継がれているおなじの歌を紹介。日本における音楽の近代化(西洋化)に貢献したとも言える。 アメリカにおける児童音楽教育の専門家であり楽曲編纂者。掛軸表を使った独自の指導法を考案する。1880年(明治13年)から2年間、日本に招かれ、伊沢修二とともに日本の初等音楽教育体系を確立した。
1851年 長野県高遠町に生まれる。
1874年(明治
7年)
愛知師範学校校長に赴任。
付属幼稚園で遊戯唱歌を教える。
1875年 アメリカ留学 電話の発明者ベル(Graham Bell)から発音矯正指導を受け、メイソン(右参照)から音楽を学ぶ。
1878年 帰国、東京師範学校で教える。
東京師範学校校長、東京音楽学校初代校長を勤め、「学校管理」、「教育学」、「新体操法実施」などの著作を残す。
のちに、台湾総監府学務部長をつとめるなど次第に国家主義的指導者となり、ベルから発音矯正を受けた経験が、こんどは台湾人に対する日本化教育に生かされることになるのは皮肉である。
1823年 メイン州ターナー(Turner, Maine)に生まれる。
1852年 Luisvilleで教える。
1856年 Cincinnatiで教える。
1864年 Bostonで教える。
1880年 日本に招かれる。のちに、東京大学より名誉教授の称号を授与される。
その後、欧州各国をまわる。
 ”Baby”Organ Mason and Hamlin社製ベビーオルガン 
ベビーオルガンメイソン アンド ハムリン社はマサチュ-セッツ州ボストンにあったオルガン製造会社(1854-1888年)。1888年に社名をMason & Hamlin Organ& Piano Co.に変更し、1927年にリードオルガンの製造を中止。この”ベビー”オルガンは1881年に幼稚園向けに造られたが、その手ごろな価格のため多くの教会や学校で使用された。49の鍵盤と2組の足踏み板、膝で音量を調節するようになっている。右の音楽会で使用したものは39の鍵盤だった。大きさは、高さ83センチ、幅75センチ、奥行き37センチほどと小さい。重さも大人一人で抱えられるくらい軽量である。
 ▼オルガンのことをもっと知りたい人へのリンク
西川オルガン 当サイト内のページです
『十九世紀オルガン音楽のページ』  オルガンの発達史の解説あり。
日本リードオルガン協会 海外のオルガン関連サイトが充実してます。
American Reed Organ Society 英語版 Baby organの解説あり
パイプオルガンと音楽 専門的な関連情報が豊富です。
山野オルガン パイプオルガン関連ですが「オルガンの歴史」と「日本のオルガン史」は詳細にまとめられていて役立ちます。
ヤマハ楽器 オルガンではないがピアノの製造工程が説明されている。


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