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蓄音機の中を覗く

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蓄音機 ■資料館の蓄音機はコロムビア製卓上型蓄音機 Viva〜tonal Columbia Grafonolaです。昭和7年前後に製造されたものらしく、蓄音機の中では比較的新しい方に分類されます。卓上型ということでラッパのようなスピーカーは本体の中に入っていて、持ち運びができるように軽量化されたものです。でもアームは別のものから流用したようです。
■たび重なる故障の末、資料館の蓄音機は修理され復活しました。故障の原因はゼンマイが切れてしまったからです。昔のゼンマイは鋼(ハガネ)製・鉄に焼きを入れたものなので切れやすかったようです。
ゼンマイ ゼンマイ部■蓄音機の回転エネルギーの源はゼンマイです。長さ4メートルほどの薄い板を巻いたものです。これを中心に向かって小さく巻きこむと、元に戻ろうとする力が出てこれが回転エネルギーになるのです。今回、ステンレス製のゼンマイを特注しましたので簡単には切れないでしょう。左は伸びきったゼンマイ、右は巻かれて収められたゼンマイです。
↓↓駆動部↓↓
駆動部 駆動部 駆動部
キャビネット(木箱)の中はご覧のように駆動部がコンパクトに収められています。そこからハンドルがつながっているのが分かります。想像以上にシンプルな仕組みに驚きました。 駆動部分のフタを取ったところです。ここにギアの部分(右の画像)がはまっていました。シンプルだけどしっかりしと丈夫にできた造りです。 回転の中心となるギアです。回転を安定させるために大きなギアにしてあるのでしょう。
レコードの原理
■レコードは広義には<記録>の意味ですが、一般的には<機械的に録音された円盤>として理解されています。そして、蓄音機(器)は元来、音を記録し再生する装置です。音の記録は、音波、つまり音による空気の振動を振動板で増幅して針に伝え、円盤などに溝を掘って行われます。この溝には振動が刻まれているわけです。一方、音の再生はこの逆をたどります。つまり、音の溝に記録された変化(機械的振動)を針がトレースして取りだし、それが動き(振動)となって振動板に伝えられ音波(空気振動)として空気中に放射されるのです。
■ちょっとむずかしく聞こえるかもしれないけれど、簡単な仕組みは「糸電話」を想像してみるとわかりやすい。紙コップに口をつけて話すと、コップの底が振動してそれが糸に伝わるわけで、これが音の記録の部分です。音の再生は逆になります。つまり、糸に振動として伝わった音はもう片方の紙コップの底に伝わって振動を起こし、その振動が、音波として耳へと届くわけです。
蓄音機の発明
■蓄音機は音を蓄える、つまり、録音する機械という意味ですが、発明当初の蓄音機は音の記録と再生の両方を行いました。しかし、大量生産された蓄音機はもっぱら音の再生だけを行うレコードプレーヤーだったのです。
■蓄音機を発明したのはエジソン(Thomas A. Edison)と言われていますが、最初に音の記録方法を考え出したのはフランスのスコット(L.Scott)という人でした。これはフォノートグラフ(Phonautograph)と呼ばれています。スコットは石油ランプのスス(煤)を膜に代用し、レコード針には豚の毛を使ったそうです。更にこれを再生する方法を仏人のクロス(C.Cross)が1877年4月に発表。1877年7月にエジソンが発明した円筒式の蓄音機は音の記録と再生の両方を合わせた装置でした。それまで、音の記録と再生が別々だったものを、ひとつの機械で可能にしたところがエジソンのスゴイところです。
■平円盤のレコードを考え出したのはアメリカ人のバーリナー(Emile Berliner)という人で、1887年のことでした。レコードが平になったことで大量生産が可能になりました。それと、平盤レコードをターンテーブルで回す円盤式の蓄音機(グラモフォン:Gramophone)も同時に開発しました。蓄音機の欠点は再生の際の音質が良くないことでした。
レコード年表
1857−スコットがを音の記録法を考案。
1877−クロスが音の再生法を考案。
    −エジソンが円筒形レコード装置を発明。
1885−蝋(ろう)管蓄音機が発明される。
1887−バーリナーが平円盤レコードと
     それを再生する蓄音機を開発。
1889−蓄音機が商品として輸入される。
1892−蓄音機の国産化始まる。
1902−アメリカでレコード会社が設立される。
1924−電気録音方式が開発される。
1948−33三分の一回転のLPレコードが登場。
1949−45回転レコードが発表される。
1959−フォノシートが発売される。
1982−CDが発売される。
≪≪参考:平凡社『世界大百科事典』≫≫
■1924年にアメリカのベル電話研究所で電気録音方式が開発されレコードの音質が大幅に改善されました。これにはマイクロホンや真空管増幅器が使われています。これを契機に、一流指揮者と管弦楽団の演奏の録音が飛躍的に増大しました。
■1945年にはプリエンファシスという新しい録音技術の開発により、高域音質が改善されました。レコード材質もLPの時代には塩化ビニルが用いられ、レコード独特の雑音であるスクラッチ・ノイズが著しく軽減されています。しかし、このスクラッチ・ノイズが何とも言えず味わいがあるという人もいます。ターンテーブルもゼンマイ式から電動式(モーター式)へ代わりました。そして、今や、レコードはCDやMDなどのデジタルオーディオディスクに進化し、一般的になってきています。
 SPレコードとそれ以後
■蓄音機で再生されるレコードの主流はSPレコード(Standard Playing Record)、または78回転レコードでした。一分間に78回まわります。直径は25センチと30センチの2種類で、それぞれ約3.5分、4.5分の演奏時間でした。材質はシェラックと呼ばれるもので独特のスクラッチ・ノイズがありました。レコード針には鋼鉄製のものまたは竹のものが使用され、一枚のレコードを聴くごとに交換していました。ゼンマイ式の蓄音機では持続時間が短いため、片面ごとにゼンマイを巻きなおさなければなりません。SPレコードは1963年(昭和38年)以後は製造されなくなりました。
■第2次世界大戦後、45回転レコードが出てきました。直径はほとんどが17センチです。これは片面に一曲録音だったのでシングル盤と呼ばれたり、中心の穴が大きかったのでドーナッツ盤とも呼ばれました。この穴が大きかったのは、ジュークボックス用に規格されたためだという話を聞いたことがあります。材質もビニルにかわりました。
■LPレコードの時代になると、ターンテーブルの動力も手回し式ゼンマイから電動モーターに代わり、真空管による増幅器とスピーカーによって音の拡大が可能になりました。いわゆる電蓄(電気蓄音機)に代わっていったのです。針先もダイヤモンド製となり、ステレオ録音が主流となりました。ステレオははじめ2チャンネル、つまり2個のスピーカーから別々の音を出す方式でしたが、1969年に4チャンネルが開発されました。

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