乳母(うば)石

ホーム > 須玉町歴史散歩 > 乳母(うば)石
乳母石の場所
姥神の碑と奥に乳母石
乳母石

この度、乳母石(神)について調査いたしました。

■乳母石は下(しも−>下半身)の病の神様でその御神体を乳母石と呼ぶ。一説には「姥神」とも、「優婆神」とも書くらしい。若神子古城が落城した際、乳母が山を下りてきてここまで来たところ石に化けてしまったという伝説に基づいている。画像の中央の一番大きな石がそれである。今では国道141号線沿いの草むらに隠れるようにひっそりとあるが、国道ができる以前は田圃であった。この石は婦人の陰部に酷似していることから下の病に悩む者は女陰の形を作って奉納すれば治ると信じられてきた。以来、大小多くの石造・木造の生殖器が供えられていて、今でも御神体の周りにはそれらしい石造物がある。

■古城が落城した時とは、恐らく天正壬午の乱(1582)にあたると思われる。若神子は古くから信州へ抜ける交通の要地で、戦国時代には武田信玄はたびたびこの若神子城で陣立てを行ったと伝えられる。
また、武田氏滅亡の後、北条氏がこの地で本陣を張って徳川と戦ったことが知られている。交通の要地として古くから栄えた若神子の宿には遊女宿も多くあったことから「しも」の病を治すという信仰が生まれたのではないかと考えられている。

■須玉町の近くにある大泉村の谷戸城址の近くには姥神という地名があり、速秋津姫命を祭る姥神の祠がある。こちらのいわれは不明とのこと。


若神子の七不思議

○鉄砲岩
  天気が悪くなると大砲の音に似た音を出すと伝えられる。
○宿借岩
  新羅三郎義光が突き出た岩の下で雨宿りしたと伝えられる。
○甲金(コウキン)橋
  この橋を渡ると甲州金の音がした伝えられる。
○赤坂の岩清水 不明     
画像○ゆるぎ(おたま)岩
  若神子城南城趾がある東漸寺山の頂近くにある巨石で、指で静かに押せば動くということからこの名がついた。この岩には武田信玄が手をついた指の痕が残るという伝説がある。最大径は横290センチと縦190センチ。
稚児ヶ石○稚児ヶ石(ままこ石) 
  岩のでこぼこが子供の足の形に窪んでいることからこの名がつけられた。今では中央自動車道近くの崖下に草に覆われている。岩のすぐ横をJR日野春駅へ通じる古くからの道があって、戦時中は須玉からの出征兵士を見送った場所(「万歳峠」と呼ばれた)に近いことから、目印としてあった岩なのかも知れない。
参考文献 『若神子村誌』 昭和30年 若神子村 (絶版)

      須玉町歴史散歩 | サイトマップ | メール       image

(c) 須玉町歴史資料館