左の画像は須玉町江草地区岩下にある『十王の石像』です。俗に『岩下の十王』とも呼ばれます。平安時代の末頃から「十王信仰」と言うものが伝わっていて、この『岩下の十王』も十王信仰の対象として存在します。
■石像近くの能書きによると、『この十王は、小森川の対岸の崖に祠を掘って安置されていて、川の氾濫などのため集落とともに移ってきた。
十王とは、死後初七日から3回忌まで10回にわたり、前世の功罪を裁き来世の生を定める王のことである。 現世に生きるものが、死者のために十王を祈ることで、死者の罪科を救済できると信じられていた。 閻魔大王をはじめとする十王と、罪状の重さを計る業秤や罪科を写す鏡がある。』 この世で犯した自分の罪を軽減してもらうという庶民信仰である。
■子供のころ、うそをつくと閻魔(えんま)様に舌を抜かれるぞ、とよく言われたものだが、その閻魔様(閻羅王のこと:左の一覧表参照)もこの十王の一人である。閻魔様は死者の生前の善悪を審判する地獄の大王で、十王の中でも中心的な存在と考えられている。十王信仰がすたれても、閻魔様の存在は世代から世代へ伝えられてきた。こういうところに庶民信仰の根強さがあるのかもしれない。「うそをつくと舌を抜かれる」。昔はこのような言い伝えが人々の道徳観やエチケットを育んだのであろう。
■なぜ十王の中でも特に閻魔様が特に一般に知られるようになったのだろうか。それは、温和で慈悲深いと信じられている地蔵とはまた別の、きびしい裁きで死者を救う者としての格別の信仰を得るようになったからではないか、と思われる。
■十王の思想の起源は中国の道教にある。道教は老子を祖とし、不老長生や無為自然を説く教えが仏教の教理と合体して宗教となったもの。とくにその冥府(冥土)思想が特徴で、日本に伝わると、後に奪衣婆(だつえば)や十王それぞれに本地仏(ほんじぶつ)があてられるようになった。奪(脱)衣婆は、三途(さんず)の川辺で罪人の衣服を奪い取る老鬼女のことで、だいたい十王石像とセットで置かれていることが多いようである。
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