1、増 富 (ますとみ) |
町の北東、最も広い面積をもち長野県に接しています。秩父多摩国立公園の西端にあたり、この地区にある瑞牆山(みずがきさん)は町のシンボルです。山梨県には日本一の富士山がありますが、須玉の人々には瑞牆山の方が親しまれています。高冷地を活かした花豆の栽培が盛んです。古くには小尾街道の黒森には関所がおかれ、秩父や金峰山ヘの巡礼で賑わいました。金峰山を源流とする本谷川と瑞牆山を源流とする釜瀬川がこの地区で合流して塩川となります。増富はラジウム温泉郷として昔から湯治場として知られ、ここには武田時代の金鉱跡(増富金山)があります。
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2、津 金(つがね) |
八ヶ岳を源流とする須玉川の左岸の高台にある農村地区で、リンゴ、スイカなどの果物が特産です。縄文の遺跡、中世の館や城跡があり南アルプスや八ヶ岳の眺望もすばらしい。古くには長野県佐久地方との結びつきが強く佐久往還が通り、江戸時代には海岸寺のお祭りに信州より手形なしで往来できて賑わったそうです。津金地区にある旧津金学校藤村式校舎は明治時代の西洋風建物で今は
須玉町歴史資料館 になっていて見学できます。 |
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[津金の里]
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3、江 草(えぐさ) |
塩川とその支流、小森川の流域にあり、塩川左岸は茅ヶ岳山麓にあたります。城跡や、信州、秩父に通じる小尾街道(穂坂路)、甲州御嶽山(金峰山)への信仰の道がありました。現在では、塩川右岸に長野県川上村へ抜ける県道があります。江戸時代には口留め番所(関所)が根古屋、馬場、岩下におかれるなど交通の要地でした。
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4、多 麻(たま) |
マツタケの山地として有名な斑山のふもと、須玉川と塩川に挟まれた地区です。斑山から南南西の穂足に向かって中央に尾根があり、その中腹には金山と伝えられる横穴や、ふもとには城跡があります。山に燃料とする松が多くあった為か、明治大正にかけて小倉焼(こごえやき)の窯が築かれていたほか、最近まで瓦を生産していました。
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5、穂 足(ほたり) |
須玉川と塩川に挟まれた地区です。川の合流地点が標高450mと町内で最も低くなっています。甲府・韮崎方面からは、南の玄関口にあたり、百観音で分岐して若神子を通り清里から佐久へ抜ける道、塩川沿いに増富から川上村、秩父へ抜ける道に分かれます。遺跡は弥生時代から古墳時代の集落が多くあります。中世の城や館もありました。
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6、若神子(わかみこ) |
須玉川の右岸にあって南北に長く、南西は八ヶ岳東南麓になり釜無川左岸の崖で終わります。特に役場のある付近は須玉川の支流西川・甲川・鳩川がそそぎ、古来より水利や交通の要地で城跡が三ヶ所(若神子城)もあります。甲斐源氏発祥の地と伝えられるほか、武田信玄の頃は陣所があり、江戸時代には宿駅として栄えました。
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[若神子について] |