2011放課後フォーラムドキュメント
華 雪 先生(書道)
服部文祥 先生(冒険)
伊藤千枝 先生(ダンス)
豊嶋秀樹 (津金一日学校ディレクター)
豊 嶋 3人はどんな小学生だったんですか?
華 雪 10歳頃、ちょうど華雪って名前をもらったあたりから、すごいこまっしゃくれた子になってきて、反抗期もすごく早かったんです。でも、何かをじっと見つめていたい子でしたね。「見る」ことがあっていままで字を書いてきた。いまだに自分の出来事をはじめ、「書ってなに」とか、「なんで字をかいているのか」を見続けているのは、そんなこどものころの延長かもしれないです。見ることが大事です。
服 部 僕はガキ大将でした。ちょっと軍国主義的な(笑)。集団生活を乱すようなやつは、ガツンガツンとやらないと気がすまなかったな。でも、みんなが無視したり、いじめたりするような理由でいじめはしなかった。足も速かったんですが、スポーツよりは虫取りとかザリガニ釣りのほうが好きでしたね。友達は野球や剣道など、スポーツチームに入っちゃうんで、ひとりで日曜日の午前中は近くの雑木林をうろうろしてました。
伊 藤 当時私は、自分のことを正義の味方だって思ってたんですよね。だから、いじめられっ子をいじめっ子から私が守ってるんだっていう思いで、いじめっ子をやっつけたり……。いじめられっ子が「千枝ちゃんありがとう」っていってくれて、「わたし千枝ちゃんの子分になります」って。「じゃあそうか、わたしが守ってやるから俺の後ろについて来い」と(笑)。それでどんどん子分が増えてくる(笑)。
服 部 番長だ(笑)。
伊 藤 私いまもキノコの親分だから、変わんないね、人って(笑)。
服 部 ここまでの話で三つ子の魂百までっていうことわざの意味がよくわかりましたね(笑)。
僕は、中学高校とハンドボール部、いわゆるスポーツを始めました。球技は球技で面白いんですよね。ただ今思えばボールを追いかけることには狩猟的な興味を感じていたのかもしれない。こどもの時から、純粋なスポーツや登山より獲物系に興味をもっていた気がする。
豊 嶋 いまのこどもは、皆さんのころと違いますか?
服 部 違う面もあるし違わない面もあるかな。こどもの数が少ないですよね。だからかな、学校で我々の頃よりは丁寧に扱われてる感じがする。息子は11歳と9歳ですけど、「服部さん」と学校でさん付けで呼ばれていて、変わったなあと思いました。ただ、こども自体は昔と同じ、「今の子が腕白じゃない」というのは違うと思う。今の子も放っておいて自分でやらせればなんでもできます。ちょっと手をかけすぎだと思います。親が暇なんじゃないですか。そういう僕も結構一緒に遊んでるんですけど……。
僕の場合、父親は相撲と囲碁ばかりで、登山に関しては親の影響はまったく受けていないです。父親は僕が飼っているザリガニが逃げ出しても、持てないくらいでしたから。虫取りも全く駄目でした。だから、父親が影響を与えてその道に行く人もいれば、僕みたいに全然影響がなかったりもする。
伊 藤 私たちのころは結構ほっとかれてたよなあって、私も思います。学校から帰ってきて、親はこどもがどこへ行ってるかわかんないくらいだった。今は習い事が多いので、自分で好きなことをやる時間が極端に減ってますね。時間がある子は無限にあって、ない子は本当にないようでちょっとかわいそう。腕白な子は腕白で、元気だし全然変わってないけど、やっぱり大人の目線、大人と過ごす時間が増えていると感じますね。
豊 嶋 これからは、あえて目を離す瞬間を作ってあげないといけないってことですか?
服 部 僕らの頃は、ケンカもあれば、悪質なイタズラ、火遊びも結構やったじゃないですか。火事寸前になって、燃え広がる炎を必死で踏みまくって靴の底が煤で真っ黒とか。川で泳ぐ池で泳ぐとか。最近そういうこどもたちの行為の度合いがこぢんまりとしているようにみえるのは、やっぱり大人の目があるからなのかなあと。
豊 嶋 華雪さんも伊藤さんも小さい頃から一直線に歩いてきているところはあると思うんですね。人生って、選んで選んで自分にとってはひとつの道ではあるんですが、ご自身はどう振り返りますか?
伊 藤 ダンスを始めたきっかけは、幼稚園のお友達がダンスを始めたことです。友達はすぐやめちゃったんですけど、私はなんの疑問も持たず週に2回ずつ通って、発表会があって、稽古場で辛いことあっても踊るのが楽しいので通っちゃった。一番ダンスから遠ざかったのは、中学時代に私が踊りたいダンスは今やってるダンスじゃないような気がして、だんだんつまんなくなっていったときですね。そのときちょうどバブルで、いろんなダンスカンパニーが来日した時期で、どんなダンスをやるのかなっ観に行ったのがよかった。そこで、ああ自分がやりたい踊りって自分で作んなきゃいけないんだなあって、気がつきました。それで日本大学芸術学部を受け、ダンスカンパニーを自分で作ってやろうと。ところが大学で1年間遊び倒してしまったんですよ(笑)。私が一緒にやろうねって誘った人が1年後に「どうする?」って声かけてくれて、ああそうだった、ダンスカンパニー作るんだった、みたいな感じで動き出すんです。そこから本当にダンスの楽しさっていうのがわかり始めて、でも答えが出るものではないのでどんどん謎が深まる。悩みつつ、キノコ舞踊団まで作って公演をつづけながら、自分はこの世界を開拓して絶対世に出るしかないなと思いました。あれもこれもやりましたっていうのはなく、ずっとダンスやって立ち止まって休んでからまたダンスやってみたいな、心からダンスが好きだってことがすべての源になってるのかなあ。
華 雪 伊藤さんとすごく似てるんです。妹の左利きを治すため「書道教室連れてってあげて」といわれて教室にいったのがはじまりです。ちょっと顔を出さなかったときに友達はみんなやめてしまって「レミちゃん、あなたひとりになったけどどうする?」「やりたいです」「じゃあ、せっかくふたりだから、専門的なことを教えてあげるけどやる?」「あっ、はい」みたいな感じで、大学で習うようなことを教えてもらうようになりました。中学生で創作を始め、大学に入って家族の問題、両親の離婚とかいろいろあって、反抗期も重なり、でもやっぱり字は絶対書いていたいと思い、ひとりでやるって言い放って、在学中に展示を始めるんです。大学1・2年くらいは伊藤さんと同じく、丸坊主にして飲んだくれグレてた時間があったんだけど(笑)、なにやっても発散できなくて、字を書くのが一番発散できて自分がクリアーになるなあと思って、今があります。
以前は家族や自分の思いの丈をぶつけてるつもりでやっていたけれど、歳をとってみて、それをコンセプトとして捕えてきた気がしています。最近はそういうものがもっと自然にでてこないかしらと思って……。だから作品もするするとあまり包み隠さず曝け出すようになってきたので、今小さい頃に戻ってるような感じがします。
豊 嶋 ひとつのジャンルがあって、そこにはすでにプロフェッショナルな頂点とされてる型のようなものがある。ここに集まったみなさんは、その型に疑問を投げかけて、自分で型作りみたいなものをやってきている気がしますが、なにがそうさせていくんでしょうか?
服 部 登山の場合は時代がありますね。14座の8000メートル峰に登ることが、かつて人類や登山史では価値のあることだったけれども、いま僕が14座登っても、あっそう、みたいな感じになっちゃうと思うんです。自分の登山をしなくてはならない時代になた。
ちょっと話を戻すと、お二人は書道、ダンスをこどものときから一直線でやってきて、僕は、虫取りやって、球技やって、普通の大学生をやりつつ山に登って、就職しようと思ったけど失敗してみたいな、そういう生活しながら今の状態に落ち着いている。それでいまの一番重要な悩みは、自分のこどもたちに、勉強しろ勉強しろって言ってしまうことなんです。「分数の割り算理解している?説明できる?」とか。何が問題かというと、自分のこどもに無理やりにしろある程度にしろ勉強させて、まあまあの高校へ行かして、まあまあの大学へ行かせて、まあまあの就職ができたとして、さて果たして、人生はなんだろう。それが幸せなのかということを悩んでしまう。
勉強が悪いわけではない。人間はなにを考えてきたのかっていうことを学ぶのが重要だって思うんです。ただ、いま僕は東京の霞ヶ関で働いてるんですけど、そこは競争社会を生き抜いた学歴の高い人しかいない。そんなビジネスマンが皆、おもしろくもないルーティンワークに忙殺されて「あーあ」とかいいながら太っていて……というのをみてると、これが超一流の大学入って超一流の企業に入った行く末?これが勉強の行く末なのか?と怖くなる。だから、伊藤さんも華雪さんも素晴らしいですよ。
勉強が不得意で中途半端な高校に入って、中途半端な大学や専門学校に入って、でもそれで不幸になるわけではないですよね? まあ、心配しても、こどもの人生は、こどもの人生なんですけどね。
豊 嶋 みなさん、自分の表現もしくはそれに付随するものを収入として生きてきていて、なんというかONとOFFの差異があまりなく、表現がそのまま自分の生き方にかなりイコールであるというのはいいことですよね。
服 部 ビジネスマンも仕事がライフワークであれば幸せなのかもしれないですが、企業の歯車が人生そのものにはなりえない。趣味と仕事は一緒にしないほうがいいという考え方もありますが、ライフワークがそのまま現金収入に重なるなら、自然にキャリアもアップしますし、楽しいですよね。
豊 嶋 いま、幸せですか?
服 部 僕はかなりいいほうじゃないですか? これで文句いったらバチが当たる。
伊 藤 私も幸せになってきました(笑)。ダンスで食べていくのは非常に厳しい時代が続いたんです。ここのところなんとか黒字になってきた。何が変わったかというと、自分で自分の洋服を買えるようになったことです(笑)。大学を卒業した後に、バイトをしながらダンスをやっていて、いつかダンスでお金をもらえるようになってやる、と思っていました。ちょくちょくプロモーションビデオや色んな映像の仕事をしていたら、『アセロラ体操』のお話を頂いて。つい去年の話なんですが、大きく仕事の種類も変わりましたし、私が何者かを相手の方にすぐわかってもらえるようになりました。コンテンポラリーダンスやってますっていっても伝わりにくいけれども、アセロラ体操作りましたっていうと「ああ!た・た・た・た・太陽♪」ってすぐわかってもらえてお仕事も来やすくなり、やっと生活もできるようになったかなという感じです。
豊 嶋 フクシマのこともあり、人生や未来をどうやって作るのとか、幸せにどうやってなればいいの、っていう答えがなかなか出せない。今まで正しいとみんなが信じてやってたことが実は全部間違ってたかもしれない、くらいのときなんですね。なにかアイデアありますか。こうやっていこうよみたいな?
僕もこどももはいないにしても、40歳になりこの社会作りに加担しているわけで、なにができるかは解らないんですが、今日、こどもとゴロゴロ転がりながら、もうちょっとましなものを残したいなあという気持ちにはなりましたね。
華 雪 ときどきこうして出会うこどもたちと一緒に居るときに、大人ぶらないでいられたら幸せだなあとすごく思っています。彼らが見たものを一緒にみるとか、彼女らが指差すほうに一緒に歩いてみるとかする中で、自分より長いこと生きてる動物(わたし)をこどもがどういうふうにみるのかなあと思いながらも、でも自由だからどんなふうにでも見てもらえる自分でいられたらいいなあと思います。
服 部 豊嶋さんの言ったことは重くて、答えを考えると暗くなっちゃう。良かれと思ってやってきたことが、全然よくないことだったっていう予感が漂ってて、ショックですよね。自分のこどもたちとどうつきあおうかと考えたとき、僕の場合も意識して大人なことをしようとすると失敗する。あんまり上手くできない。そもそも「おとな」という概念は説明できるんですかね。僕は狩猟で、鹿を撃ち殺すのですが、そのときやっぱり考えちゃうんですね、人生の目的とはなにかと……。どうして足元に転がっている鹿が僕じゃなく、僕が鹿じゃないのか?なぜ僕には鹿の命を奪うことが許されていて、逆ではないんだって。
生きる目的っていうのはおそらく「ない」っていうのが、今の結論です。生きる目的以外のもの、なにかを成し遂げるのがすばらしい、っていうはおそらく後付のことで、個人的にはともかく、人類にとって意味は「ない」気がします。フクシマのことでそんなことが証明された感じがします。
さっきの発言のつづきになりますが、生きることそのものを「楽しむ・純粋に味わえる」っていうのが、これからの社会かなあと思います。昔は、経済が発展しているとか、月にいって万歳みたいな、人類の大きな目標があったと思うんです。ただそれは幻想だったわけです。それは我々とかアメリカだけの世界の話で、アフリカとかインドのほうにはすごく貧乏なひとがいて、我々がその世界から搾取して、その金を使って月へ行っただけです。100年経てばこの会場にいる人は誰もいないわけですが、我々が消えた後、未来の人類はどう思うんですかね。21世紀初頭の連中しょうがねえよな、と思われちゃうのか、まあなんとか少し考えて方向良くしたよね、って思ってくれるのか。最近気がついたんですが、そんなことって般若心経にも書いてありますよね。僕は無宗教ですが、2000年前に同じことをもっと美しく言っているヤツがいて、恥じ入りました。
一 般 これをすると楽しく生きられるというのを、こどもとおとなバージョンで教えてください。
服 部 僕はですね、人間の身体って道具だと思ってるんですよ。さっきこどもたちにもいったんですけど、自分を装置みたいなものと考えて、その能力をもっとも上手く引き出す方法を自分で考えてみるといいと思います。自分という装置を十全に機能させる努力をしてみると人生は楽しくなると信じたい。僕は自分が一番上手にできるのが、山登りと文字書きなのかなあと思って人生を歩んでいます。登山は失敗しちゃえばパア、簡単にいえば死ぬ。そんなリスクをかけることでしか得られないものがそこにある。自分のこどもが産まれたときに考えたんですが、相手は命なので、こどもが死ぬ覚悟、こどもの死をみる覚悟を持つのが親の覚悟かと思いました。けど津波に流されたこどものことを考えると、自分のこどもが津波に流されて冷たくなってしまうのはやっぱり見たくないですよね。もしこどもが「アルパインクライミングやりたい」っていったら、「やれば」って簡単に言いにくい。と思いつつも、緩やかな放任が一番いいんじゃないかなあ……、あれ?質問の答えになってますか?
華 雪 いま服部さんがおっしゃっていたそのまんまだなあと。私は書きたいことばのために、身体を変えてしまおうとするんです。自分の体力のぎりぎりまで鍛えて身体絞り込んでどれだけメンタルなものが変わるのか、その上で字を書くとどうなるのかなあって。今でこそ少し考えながら実践するんですけど、小さい頃からそうすると自分が変わるっていうのを感じていました。そうやって自分の中になにかがあるのを信じたいし、信じてるものを外に出すときに一番スムーズに取り出せる身体・かたちを探ってそれを目指して作っていく。失敗したり、全然違ってきた、というときもあるし、逆に発見や驚きもあって、またそれで揺さぶられる自分を繰り返してるなかで制作をしている気がします。そこに、一番自分が楽しく充実して生きている時間があって、それは大人もこどもも変わらないと思います。こどもが自分なりに考えることができる環境さえあれば、その年齢その年齢で考えていくんじゃないかと思う。
伊 藤 なんだろうな。こんな感じ来るものをすべて頂いてる感じ、スポンジみたいになりたいなあと。いろんなものをなにも考えずに吸収する、もらっちゃう。それをまた自分でバーって出すみたいな。計算しないでそういう行為をシンプルにできるようになりたいとすごく思っています。それで世界がシンプルに見えてきて、今それが私にとってすごくいいやり方で、幸せで、楽しく……となるんです。大人だからこどもだからっていう違いはないと思う。こどもたちにしてもあれとこれとって選ぶんじゃなくて、来たものを感覚でビヤーってもらってビヤーっとそのまま出すことができるようになると、いろんなものが吸収できて楽しくなると思います、振り付きでした(笑)。
豊 嶋 時間となりました。どうもありがとうございました。
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