土器情報 |
飛津遺跡 耳栓(じせん) | 下平遺跡 釣手(つりて)土器 | 御所前遺跡 器台(きだい) | 御所前遺跡 水炎土器 (すいえんどき) | 多屋前遺跡 注口甕 (ちゅうこうかめ) | 飛津遺跡 土版(どばん) |
長坂遺跡2次 注口土器 | 長坂遺跡2次 三角筒形土製品 | 御所前遺跡 獣面形把手付深鉢 | 川又遺跡 ミニチュア土器 | 西川遺跡 内耳(ないじ)土器 | 飯米遺跡 土鈴(どれい) |
御所前遺跡 大渦文大把手付深鉢 |
File �1 | |
飛津遺跡 平成11年 縄文時代後・晩期 耳 栓 (じせん) |
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■ジセンとは耳飾りのことです。 耳たぶに孔(あな)をあけてはめ込みます。ピアスの大きいものと想像してみて下さい。アフリカのどこかの部族が同じようなものをしていたのを以前にテレビで見たことがあります。大きさは様々ありますので、小さいものから次第に大きなものにしていったのではないでしょうか。各地で漆塗りや透かし彫りの耳栓も発見されています。 ■耳飾りはペンダントや腕輪などと同じような装身具ですが、縄文時代の装身具は単なる飾りとしてではなく、厄除けのようなお守りとして考えられていたというのが定説です。 ■寸法は、最大のものが直径6.4cm、最小のものが直径1.5cmです。厚さも1.5〜2cmまでばらばらです。なかには中心に孔のあいたものもあります。ここから何か飾りを垂らしていたのかもしれません。 |
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File �2 | |
下平遺跡 平成元年 縄文時代中期 釣 手 土 器 (つりてどき) |
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■釣手土器はランプとして使われたと考えられます。日常生活のための明かりとしてではなく、神事を行うための明かりです。神にささげる明かり、つまり、御神灯(燈)と言えます。火種は獣脂や松根などの樹脂でした。 ■釣手土器には上半分が三角錐(すい)のものもありますが、これは真上から見ると6角形になっています。 この釣手土器のデザインは何でしょうか。正面(左上の画像)から見ると、釣手が両耳で、4つの穴の上二つに渦巻きの目があって、何かの顔のようにも見えます。 ■寸法は、最大径24cm、器高17.5cm、底最大径9cmです。 |
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File �3 | |
御所前遺跡 昭和56年 縄文時代中期 器 台 (きだい) |
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■左下の写真のように設置して、縄文土器を製作する際の台として使用いたのではないかと考えられています。 ■器台の平らな面は、煤(スス)こげているので炉の近くに置いたのではないかと思われます。寸法は、高さ4cm、内径10.5cm、枠幅1.3cm、最大径16cmです。 |
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File �4 |
御所前遺跡 昭和56年 縄文時代中期 水 炎 土 器 (すいえんどき) |
■左右の大きな把手が特徴のこの土器は俗に水煙型とも呼ばれています。「多分、把手の渦巻き模様が滝壷に舞い上がる水煙をイメージさせるのでこの名前が付けられたのでしょう。 ■うつくしい渦巻き模様です。左右の把手が同じに造られていないところに面白みがあって、縄文人の想像力の豊かさが想像できる逸品です。 寸法は、高さ42.5cm、口径17.5cm(最大径40cm)です。 |
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多屋前遺跡(土坑462) 平成11年 縄文時代晩期 注 口 甕 (ちゅうこうかめ) |
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■高さ31.5cm、口径18cmの変わった土器です。 まず底が特徴的に細くなっていて、高さ2cmほどの平底(径幅11cm)になっています。そして上部の口の部分が5cmほど筒状になっています。全体の形がスッキリしていて美しい丸みです。果物のビワのようにも見えます。 ■もっとも特徴的なのは首の位置に近いところ一ヶ所にある直径2cmほどの注口です。おそらく水か酒を入れていたものでしょう。口部が垂直なのは別に蓋(ふた)があったのかもしれませんが、そのようなものは出土していません。黒土の色も特徴的です。それにしても、わからないことだらけの土器なのです。 |
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File �6 | |
飛津遺跡 平成11年 縄文時代後期〜晩期 土 版 (どばん) |
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■平版な土製品です。原形は掌に載るくらいの大きさです。両端が欠けているのが残念。幅は5.3cm、厚みは1.7cmほどです。文様は抽象的な渦巻き状の沈線が数本走っています。アイヌのデザインにも似た感じです。 ■土版はもともと岩版で作られたものをまねて作られたと考えられ、東北地方で主に発見されています。用途は不明ですが御守り(護符)ではないかと考えられています。資料によると土偶のように顔や乳房を表現したものや子供の手形足形を押し付けたものも出土されているようです。 |
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File �7 | |
長坂遺跡2次 縄文時代後期中葉 注口土器 加曾利B式 |
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■そろばんの玉に似た形の体部と口縁に環状把手があるのが特徴です。把手(とって)の穴に撚(よ)ったツルを巻いて土瓶として使用したと考えられます。文様の特徴は櫛(くし)目状の細い沈線の束で川の流れを表すように全体に走っています。しかし、これは磨かれて黒光りはしていません。 ■現代の急須(土瓶)の原形が縄文時代にすでに考えられていたとは驚きです。縄文人も後期になると、文様やデザインの芸術性ばかりでなく、道具としての機能性も工夫しているのが良くわかる土器です。しかし、土器の専門書等の解説によると、注口土器は日常の道具というよりは特殊な用途に使われたのではないかとの見解が一般的のようです。いずれにしても、職人気質を感じさせる出来栄えです。 |
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File �8 | |
長坂遺跡2次 縄文時代中期〜後期 三角筒(さんかくとう)形土製品 |
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■三角形の筒形のめずらしい土製品。方形面の長辺の長さは9.4cm、三角面の辺は6cmほどです。 ■三角面の中心を結ぶ直線上に孔が貫通していて、製造過程であけられた孔なのか???。文様は方形面に沈線が区画のようにあってその線に沿って両側に刺突があります。方形の3面全部に親指と思われるグリップのような押圧痕があります。わざと付けたのでしょうか。 ■関東から東北地方でのみ出土されているようです。祭祀用に使われたものではないかとも考えられていますが用途は不明です。 |
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御所前遺跡 昭和56年 縄文時代中期 獣面形把手付深鉢 (じゅうめんかた とってつき ふかばち) |
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■把手(とって)の部分に注目してください。目と鼻のような隆起があるので獣面と名をつけられました。しかしいったい何をモチーフにしたのかよくわかりません。現代の生き物からは想像つかないようなデザインになっています。もしかしたら、縄文時代に実在した動物なのかもしれません。 ■縄文人は実在するものをデザインのモチーフにしていたと思われますが、このデザインを見ると想像上の未知の生き物などもデザインしていたのかもしれません。 ■文様は縦に走る隆線文を基底に、垂れ状の隆線文で大きく区画されています。そして、小さな孔のある把手のようなものが胴部の上部に二組ついています。全体的に装飾の凝った深鉢であることがわかります。器高は36.2cmとやや小ぶりです。 御所前遺跡を見てみよう |
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File �10 | |
川又遺跡 昭和59年 縄文時代後期 ミニチュア土器 |
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■掌(てのひら)にスッポリと収まってしまうほど小さな土器です。一般にミニチュア土器と呼ばれています。その小ささから当然、日常使う道具ではなく、祭祀の時にお供え用として使われたと考えられています。 ■縄文時代は、豊穣の中期(約4500年前ころ)を過ぎると次第に寒冷化が進み、木の実など食物が減り、おそらく人口も減少し始めたと考えられます(遺跡数の減少)。それにともなって人々は祭祀を盛んに行うようになったようです。人々は、きびしい生活環境を克復する中、多くの死に向き合わなければならなかったのです。そのような日常の中から「祈り」という行為が生まれたのかもしれません。 ■この土器の形はいわゆる有孔鍔付(ゆうこうつばつき)型土器を模していると思われます。口縁部に18の孔があけられています。小さくてもしっかりと穴をあけているのは、本来の有孔土器はその穴が単なるデザインではなくて用途(機能)としてなくてはならないものだったということを裏付けているのではないでしょうか。ちなみに、有孔鍔付型土器は酒壷だとか、太鼓(楽器)だったなどの諸説があり、謎だらけの土器です。 ■寸法は、高さが5.8cm、口径が2.5cm、そして、胴の最大幅が5.5cmです。 |
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File �11 | |
西川遺跡 昭和62年 中世 内耳(ないじ)土器 |
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■内耳とは、もともと耳の奥にある器官のことを言いいますが、ここでの内耳は二対の把手が土器の内側に両耳のように付けられていることから内耳と呼ばれています(多分)。この形式の土器は、内耳土器とも内耳式土器とも呼ばれます。 ■今回調べた資料によると、室町から安土・桃山時代(400年ほど前)には鉄製の内耳土器が東北地方で出土されているようです。 ■形から見るに鍋として使われていたことがわかりますが、縄文土器との大きな違いは底が薄く平になったことです。平になったことで火の伝わりが効果的になって、より実用的な調理器具といえます。なぜ把手が内側についたかというと、外側では吊るすための縄か蔓(ツル)が直火で燃えてしまうからです。吊るすということは、石で囲んだような竈(カマド)ではなく、焚き火のような炉(ろ)または囲炉裏(いろり)を使っていたと想像できます。カマドの場合は鍋を直接置くのですが、これは左下の想像図のように縄で吊るして使用したのでしょう。もしかしたら、兵士達が野戦のときの煮炊きに野外で使ったのかもしれません。 ■寸法は、高さが16.7cm、最大口径が28cmです。口縁はまん丸というのではなく少しいびつになっています。 |
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飯米遺跡 縄文時代(中期) 土鈴と最古の豆 |
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■普通 土鈴といえば中身は砂か土の玉を入れるのですが、今回見つかった土鈴の中には,43個の炭化した豆が入っていました。これは大変めずらしことです。このまめが緑豆と言う説がありますが不明です。 |
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御所前遺跡 縄文時代(中期) 大渦文大把手付深鉢(水煙土器) (だいかもんおおとってつきふかばち) |
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■須玉町指定文化財 |
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(C) 津金学校